元祖くず餅 船橋屋RECRUIT 2025

コーポレートサイト

RECRUIT2025

共に、船橋屋の新たな歴史の1ページを

MESSAGE

社長メッセージ

当社は今年で創業219年をむかえる「くず餅屋」です。
「219年」と言葉では簡単に伝えることが出来ますが、江戸・明治・大正・昭和・平成・令和と様々な時代の変化と共に歴史を重ねて参りました。そこには各時代、船橋屋を支えてくれる仲間たちとくず餅を愛して下さるお客様の存在があったからこそ、「今」があると考えております。

「くず餅」を通し、美味しさだけではなく日本の伝統や文化、憩いの時間や安らぎの場を提供し、皆さまの生活に“口福”をお届けしたいと考えております。
「くず餅ひと筋真っ直ぐに」という理念を掲げ、日々くず餅とむき合い、磨き込みを重ねて参りました。更に発酵過程で見つかった「くず餅乳酸菌」の新たな価値により、更なるくず餅の真価を追求していきたいと考えております。

当社には理念に賛同し、同じ志を持った社員が集まっています。社員同士の仲も良く、あたたかい社風を感じています。
私たち船橋屋は「伝統継承事業」と「伝統創造事業」を通し、日本の伝統文化を次世代に繋いでいくと共に、健康且つ心豊かな社会の実現に貢献してまいります。

志を共にする仲間たちと一緒に、
船橋屋の新たな歴史の1ページを
残しませんか?

JOB

船橋屋の仕事

HISTORY

船橋屋大年表

1805

勘助が船橋屋を創業。

勘助が船橋屋を創業

勘助は亀戸天神によくお参りにきていたようで、この神社には多くの人が訪れるものの、一息つく茶店が少ないと感じます。当時、亀戸界隈は川魚やしじみの料理屋が多く、茶店はあまり存在していませんでした。亀戸天神境内で「茶店を開けば、繁盛するはずだ。」という想いを持って勘助は文化年目(1804~1817)に江戸に出てきました。しかし、だからといって立派な神社の門前で縁もゆかりもない勘助が商売を始められるわけもありません。そこで、勘助は亀戸村の神社御用達の植木職人に弟子入りをします。その後、地元の信頼を得て、お店を開くことができたのです。当時の屋号は出身地にちなむのが一般的だったため、店名は「船橋屋」となりました。

1890

三代目勘助が現在地に本店を建設。

三代目勘助が現在地に本店を建設。

初めのうちはくず餅を店で作り、渋茶を入れてすすめました。次第に評判が高まり、珍しいくず餅に亀戸天神に詣でる人はもちろん、わざわざ食べにくる人もいました。
明治の初年、亀戸天神境内の改革で道路の拡張を期に、3代勘助が現在地に400坪の土地を求め本建築をしました。

1945

東京大空襲により本店焼失。

東京大空襲により本店焼失。

空襲の被害からくず餅の原料を守る
空襲前に「発酵小麦でんぷん」の入った大樽に水を張り、土をかぶせておいたことから、くず餅の原料は守られました。焼け跡の中から掘り起こし、奇跡的に残った原料のおかげで空襲の約3か月後より製造を始めることができました。
商売の心構えとして、「売るよりつくれ」があります。売ることばかりを考えるのではなく、良いものを作れということ。戦争中でも闇市には流さず、作ったもの全て公定な価格で販売しました。

1953

現在の本店が完成。

現在の本店が完成。

小説家の吉川英治は船橋屋の黒蜜をパンに塗って食べるのが好きだった、というご縁から1953年に「船橋屋」の看板文字を書いてくださいました。
今まで看板は言うまでもなく、大きな文字を書いたことがなく、これが最初で最後だろうと言っていたそうです。今も本店の喫茶室に掲げられています。

2010

くず餅乳酸菌®を発見。

くず餅乳酸菌®を発見。

「くず餅を食べるとなぜか調子が良い」
そんなお客様の声から見つかった乳酸菌。
創業から200年以上もの間、発酵樽で熟成を繰り返してきた植物性乳酸菌が「くず餅乳酸菌®」です。

RANKING

ランキング

RANKING RANKING

くず餅の魅力TOP3 くず餅の魅力TOP3

  • 第2位 弾力
  • 第1位 味
  • 第3位 発酵食品
元祖くず餅 船橋屋

RECRUIT

採用エントリーはこちら
採用エントリー